2025年3月26日(水) - 31日 (月)

西荻窪「遊空間がざびぃ」

NEWS

ニュース

Introduction

イントロダクション

大反響を呼んだ
『怪獣は襲ってくれない』
『仔犬たちの午後』に続く、
劇作家・岡本昌也による
<キッズ・ノワール>番外編。

大反響を呼んだ
『怪獣は襲ってくれない』
『仔犬たちの午後』に続く、
劇作家・岡本昌也による <キッズ・ノワール>番外編。

”キッズ・ノワール”とは

「キッズ・ノワール」とは、現代を⽣きる少年少⼥の⼼理や感覚をZ世代特有の独特な言語感覚を用いてつぶさに描写する岡本昌也が独⾃に定義した作品のジャンル。さまざまな「生きづらさ」に晒されながら現代社会をサバイブする少年少⼥たちの心情をあくまでもリアルスティックに描く。「トー横キッズ」を題材にした第⼀部、「闇バイト」をモチーフにした第二部に続き、今回の番外編では「放置子」をテーマに元・放置子の成長と里親との複雑な家族像を描く。かつて「社会の鏡」とも言われた演劇、その本来の特性を最大限に生かし、現実が乱反射する、鮮烈な観劇体験を作り出します。

Profile

プロフィール

岡本 昌也

1995年生まれ。2017年、京都を拠点に活動する劇団/アーティストグループ「安住の地」を結成。2023年6月に脱退し、個人での活動を開始。近年はロームシアター京都×京都芸術センターU35創造支援プログラムKIPPU、金沢21世紀美術館芸術交流共催事業アンド21などに選出。『ボレロの遡行』でかながわ短編演劇アワード2021グランプリ受賞。2022年には、世田谷パブリックシアター「シアタートラム ネクスト・ジェネレーションvol.14」に選出され、『凪げ、いきのこりら』を上演。また文化庁委託事業「ndjc︓若⼿映画作家育成プロジェクト2022」にて映画『うつぶせのまま踊りたい』の脚本・監督を務めた。『怪獣は襲ってくれない』でNHK「サンダンス・インスティテュート/NHK賞」2023年度推薦作家選出。

キッズ・ノワールは、暗黒を生きる子どもたちの青春グラフィティです。これまでの作品群では、あくまでも彼らの刹那的な煌めきを描いて、その後の顛末は描かないようにしてきました。大人である私たちはいったいどうすればよかったか?これからどうすればよいのか?をお客様と共に考えたかったからです。しかし、今回の番外編では、暗黒の子どもたちが、刹那的で時に美しさすら内包するズタズタな青春のその後大人になって、何を抱えて生きていくのか︖ というところまで視点をぐんと伸ばして描いてみたいと思います。題材となるのは「放置子」という社会問題です。公園などで、見ず知らずの大人に過度にかまってもらおうとしたり、友達の家で遅い時間まで帰ろうとせず遊び続けたりする、大人に放置された⼦どもたちの、その後……幼児性や暴力性をきちんとコントロールする術を知らないまま大人になってしまった者たちが、社会に体当たりしながらどうにか青春を取り戻し、力強く幸せを獲得していく希望の物語になればと思っています。

岡本 昌也

Story

あらすじ

紗登子 はかつて「放置子」だった。
公園で出会った見知らぬ大人、美苗へ執拗にまとわりつく紗登子。そんな彼女のふるまいにしびれを切らしていた美苗はある事件をきっかけに紗登子の母・夏生と直接話し合うことになる。その後、夏生との関係を断ち切り児童養護施設に入所することになった紗登子は、職員や他の子どもたちとの折り合いをうまくつけられないまま、施設で9年もの月日を過ごした。
退所まであと1年に迫った紗登子のもとに里親候補として現れたのはノンバイナリーの文筆家・丈夫 であった。
一方、美苗の息子であるもまた、美苗との関係に大きな歪みを生じさせていて……
紗登子と文の失われた青春が、偶然の再会をきっかけにふたたび鼓動しはじめる──

紗登子 はかつて「放置子」だった。公園で出会った見知らぬ大人、美苗へ執拗にまとわりつく紗登子。そんな彼女のふるまいにしびれを切らしていた美苗はある事件をきっかけに紗登子の母・夏生と直接話し合うことになる。その後、夏生との関係を断ち切り児童養護施設に入所することになった紗登子は、職員や他の子どもたちとの折り合いをうまくつけられないまま、施設で9年もの月日を過ごした。退所まであと1年に迫った紗登子のもとに里親候補として現れたのはノンバイナリーの文筆家・丈夫 であった。一方、美苗の息子であるもまた、美苗との関係に大きな歪みを生じさせていて……紗登子と文の失われた青春が、偶然の再会をきっかけにふたたび鼓動しはじめる──

Schedule

公演日時

★事前予約の方は前半割価格にてご観劇いただけます。

After Talk

アフタートーク・ゲスト

3月26日(水)19:00

脚本家・映像監督

松本窓

3月27日(木)19:00

劇作家

本橋龍

(ウンゲツィーファ)

3月28日(金)19:00

作家・演出家

山田由梨

(贅沢貧乏)

3月29日(土)17:00

劇作家・演出家・映像監督

海路

(劇団papercraft)

Theater

劇場

遊空間がざびぃ

〒167-0042
東京都杉並区西荻北5-9-12 そらの上
TEL 03-3395-0133・FAX 03-3395-0134

access ──────

電 車:JR中央線・総武線西荻窪駅
    北口より北銀座通りを徒歩8分
バ ス:バス亭「西荻北5丁目」
⇒西荻窪駅から荻窪・井荻方面へ2つ目
⇒上石神井駅から西荻窪駅方面

Drama review

劇評

街の壁に書かれ、すぐに街の風に消されてしまう、心から出たことばたちを表現するという、これまできちんと深くは成し遂げられてこなかったことを可能にした傑作である。

なぜそれが可能になったのか? 新宿の電飾掲示板の一瞬一瞬のまたたきに、瞬間瞬間を生きるティーンエイジャーたちを重ね合わせるような演劇的技法や、若い社会学者とともに行った歌舞伎町でのフィールドワークの蓄積、そして自らもひとつの商品として身体を提示する役者たちの惑いや輝きのシンクロがあるのは間違いない。

何よりも私は、刹那の中で集い出会い別れていく、演劇空間のあり方やその消費のされ方が、あまりにもよくトー横のそれと似ているのに感じ入った。そして、新宿歌舞伎町の入り口付近に位置するこの劇場での上演のすぐ裏では、トー横を舞台に実際に命を懸け生きるトー横キッズの生活という上演が同時進行で繰り広げられているのである。その気配を十分に感じとっているのだろうか。役者たちは、街の人そのものであるかのように叫び、泣き、つかのまに笑った。

願わくば、この演劇をトー横へと、街の中へと解放できないだろうか。トー横キッズに届けられないだろうか。鏡としてこの演劇を観たとき、彼・彼女らに何が生じるのか? そこにこそ、演劇が社会のなかで息づく瞬間の誕生があるのではないか。街の落書きが、その書かれた壁の上で再演されることができるのではないか。

僕らは観客として、舞台の裏にいるはずのトー横キッズとは、ビルの壁一枚分、歌舞伎町へと続く道路一本分隔てられて、彼・彼女らの命がけの舞台を消費してしまう。そして舞台が終われば、ロビーで出演者たちのブロマイドを買う。こうした僕ら消費者こそ、トー横キッズの未来を搾取する怪獣であるはずだ。

僕らのなかに潜む怪獣は、僕らを襲ってくれない。

千葉商科大学政策情報学部准教授
後藤一樹(社会学、映像制作)

街の壁に書かれ、すぐに街の風に消されてしまう、心から出たことばたちを表現するという、これまできちんと深くは成し遂げられてこなかったことを可能にした傑作である。

なぜそれが可能になったのか? 新宿の電飾掲示板の一瞬一瞬のまたたきに、瞬間瞬間を生きるティーンエイジャーたちを重ね合わせるような演劇的技法や、若い社会学者とともに行った歌舞伎町でのフィールドワークの蓄積、そして自らもひとつの商品として身体を提示する役者たちの惑いや輝きのシンクロがあるのは間違いない。

何よりも私は、刹那の中で集い出会い別れていく、演劇空間のあり方やその消費のされ方が、あまりにもよくトー横のそれと似ているのに感じ入った。そして、新宿歌舞伎町の入り口付近に位置するこの劇場での上演のすぐ裏では、トー横を舞台に実際に命を懸け生きるトー横キッズの生活という上演が同時進行で繰り広げられているのである。その気配を十分に感じとっているのだろうか。役者たちは、街の人そのものであるかのように叫び、泣き、つかのまに笑った。

願わくば、この演劇をトー横へと、街の中へと解放できないだろうか。トー横キッズに届けられないだろうか。鏡としてこの演劇を観たとき、彼・彼女らに何が生じるのか? そこにこそ、演劇が社会のなかで息づく瞬間の誕生があるのではないか。街の落書きが、その書かれた壁の上で再演されることができるのではないか。

僕らは観客として、舞台の裏にいるはずのトー横キッズとは、ビルの壁一枚分、歌舞伎町へと続く道路一本分隔てられて、彼・彼女らの命がけの舞台を消費してしまう。そして舞台が終われば、ロビーで出演者たちのブロマイドを買う。こうした僕ら消費者こそ、トー横キッズの未来を搾取する怪獣であるはずだ。

僕らのなかに潜む怪獣は、僕らを襲ってくれない。

千葉商科大学政策情報学部准教授
後藤一樹(社会学、映像制作)

昨日は、仕事の合間を縫って、大学時代の同期である岡本昌也くんの新作演劇『心臓グミ』を観劇して、その後のアフタートークにも参加してきた。
作品内容としては、ちょっと驚いてしまうくらい岡本昌也が観客の方を向いてくれている作品だった。僕の知っている彼とは違ってちょっと戸惑ったし、むしろ前の二作にくらべるといささかライトに思え、少しだけ物足りなさを感じてしまうくらいだったかもしれない。でもそれは彼も意図してやったことだったらしいので、むしろその調節を意図して行えることが作家としてすごいと思うし、いろいろな題材で、様々な方向性・手触りの彼の作品を観てみたくなる。
そして、今回も相変わらず、しっかりと扱う題材に対しての真摯さを感じた。観劇中、これを放置子という問題を題材にしている前提を持たずに観たら、一体どんなふうにこの物語を捉えただろうか、と考えた。多分僕は、こういう対等な親子関係もありだよねと途中まではむしろ肯定的に観たかもしれない。でもだんだん違和感が募っていって、関わるみんなが少しだけおかしくなっていって、終盤にはその歪みがただの違和感ではなく社会に存在する問題として提示される。まさに僕が気づかない(気づこうとしない)だけでこの世界のどこかで普通に起こっていることなのだと思い知らされた。これはもしかしたら、「ありふれた物語」「物語としては退屈だった」というふうに思う人もいるかもしれない。けれどそれは同時に、それだけ日々の中に滑り込んで、馴染んで、可視化できない問題であることのあらわれで、だからこそ目を向ける必要があるのだとこの作品は言ってくれている気がした。
あと、岡本くんは情報量の整理がとてもうまい作家なんだと思った。シーンを転換するとき、前シーンの役者が舞台の端に残って、次シーンの役者が照明に照らされて何かを話し始めるシームレスなシーンのつなぎも、観客の処理する(あるいは処理したい)情報量を見極めて、それに応じてコントロールしているように思えた。リニアにひとつひとつのシーンがつながっていく物語は、シンプルではわかりやすくはあるが、ある意味では予定調和的で単調だ。そこにひとつまみのカオスを投じることで観客の処理すべき情報量が少しだけ増え、そのことが観劇モチベーションになることを本能的に知っているのだと思う。いつか、学生時代に、彼が「観客の処理できる情報量の少し上の情報量を与えることが、”面白い”と感じながら観ることにつながる」というようなことを言っていた。このようなシーンのオーバーラップの演出もその一環なのではないか。また、それが顕著にわかるのは『パルプ・フィクション』的な脚本構造だ。時間軸が入り乱れることで、観客は少しだけ戸惑うが、そのシーンの飛躍で起こる一瞬の”わからなさ”がむしろ観客の没入に寄与しているのではないか。シームレスなシーン繋ぎは、そのシーンの飛躍の余計な違和感を減らしている役割もあるのだと思う。ときには彼は、あえてもっと大きなカオスを意図的に脚本内にも混ぜ込んでいたりもする。それができるのは、観客が受けとり、処理する情報量を常に考えて、それをコントロールすることが鑑賞のモチベーションを左右することを知っているからこそなのではないかと思った。

昨日は、仕事の合間を縫って、大学時代の同期である岡本昌也くんの新作演劇『心臓グミ』を観劇して、その後のアフタートークにも参加してきた。
作品内容としては、ちょっと驚いてしまうくらい岡本昌也が観客の方を向いてくれている作品だった。僕の知っている彼とは違ってちょっと戸惑ったし、むしろ前の二作にくらべるといささかライトに思え、少しだけ物足りなさを感じてしまうくらいだったかもしれない。でもそれは彼も意図してやったことだったらしいので、むしろその調節を意図して行えることが作家としてすごいと思うし、いろいろな題材で、様々な方向性・手触りの彼の作品を観てみたくなる。
そして、今回も相変わらず、しっかりと扱う題材に対しての真摯さを感じた。観劇中、これを放置子という問題を題材にしている前提を持たずに観たら、一体どんなふうにこの物語を捉えただろうか、と考えた。多分僕は、こういう対等な親子関係もありだよねと途中まではむしろ肯定的に観たかもしれない。でもだんだん違和感が募っていって、関わるみんなが少しだけおかしくなっていって、終盤にはその歪みがただの違和感ではなく社会に存在する問題として提示される。まさに僕が気づかない(気づこうとしない)だけでこの世界のどこかで普通に起こっていることなのだと思い知らされた。これはもしかしたら、「ありふれた物語」「物語としては退屈だった」というふうに思う人もいるかもしれない。けれどそれは同時に、それだけ日々の中に滑り込んで、馴染んで、可視化できない問題であることのあらわれで、だからこそ目を向ける必要があるのだとこの作品は言ってくれている気がした。
あと、岡本くんは情報量の整理がとてもうまい作家なんだと思った。シーンを転換するとき、前シーンの役者が舞台の端に残って、次シーンの役者が照明に照らされて何かを話し始めるシームレスなシーンのつなぎも、観客の処理する(あるいは処理したい)情報量を見極めて、それに応じてコントロールしているように思えた。リニアにひとつひとつのシーンがつながっていく物語は、シンプルではわかりやすくはあるが、ある意味では予定調和的で単調だ。そこにひとつまみのカオスを投じることで観客の処理すべき情報量が少しだけ増え、そのことが観劇モチベーションになることを本能的に知っているのだと思う。いつか、学生時代に、彼が「観客の処理できる情報量の少し上の情報量を与えることが、”面白い”と感じながら観ることにつながる」というようなことを言っていた。このようなシーンのオーバーラップの演出もその一環なのではないか。また、それが顕著にわかるのは『パルプ・フィクション』的な脚本構造だ。時間軸が入り乱れることで、観客は少しだけ戸惑うが、そのシーンの飛躍で起こる一瞬の”わからなさ”がむしろ観客の没入に寄与しているのではないか。シームレスなシーン繋ぎは、そのシーンの飛躍の余計な違和感を減らしている役割もあるのだと思う。ときには彼は、あえてもっと大きなカオスを意図的に脚本内にも混ぜ込んでいたりもする。それができるのは、観客が受けとり、処理する情報量を常に考えて、それをコントロールすることが鑑賞のモチベーションを左右することを知っているからこそなのではないかと思った。

Recommendation

推薦コメント

俳優・モデル

岡本ゆい

前回公演の「仔犬たちの午後」観劇しました。
とても熱く、かっこよく生きた子供と大人の間の人たち
音楽のタイミングが気持ち良かったです。
なかなか舞台では分かりにくいはずの回想と現在の時系列がわかりやすいのが驚きでした…
前回の劇場が小さく、限られてる場所でお客様に囲まれる形であんなに躍動感、スピード感のあるお芝居を観ることが出来て、とても心が震えました。
西尾(森脇さん)が、闇バイトと彼女の前では顔が全然違く見えて刺激的でした。
最後の曲に合わせてたくさんの言葉を叫ぶシーンが熱くなった。
どうしてこんな若者たちが生まれてしまうのか、踏み込んでしまうのか、考えさせられた
次回公演もまた観たいです

俳優

森下亮

あの時の空気、あの時の湿度、
「仔犬たちの午後」を観た時に感じた肌の感触は今でも鮮明に覚えている。

舞台から突き付けて来るとてつもないどうしようもなさ。
空間に充満するどうしようもなさは演劇としての豊かさに溢れ続けていて、客席で静かに興奮した。

生で味わう演劇を観るからには
他では味わえない体験が欲しい。
岡本昌也という才能はその希望に応え続けてくれるだろう。
そしてこれからさらに飛躍し続けることを期待せずにはいられなくなる。
だから次も観たくなる。

ファッションデザイナー

yushokobayashi

岡本の作品はいつも、エンターテイメントの皮を被って、私たちを騙しにやってくる。
とりわけキッズノアール連作は、まるで彼の運転する車で(岡本は免許を持っていないが)、ドライブしているかのような楽しさがある。徐々にスピードが上がっていくと、先ほどまでの爽快感が恐怖に変わっていく。
眼の前で役者たちが演じている姿を観て、さっきまで笑っていたはずなのに、徐々に笑えなくなってくる。彼らを傷つけているのは、自分にも内在する加害性・有毒性だからだと、気付かされる。
岡本もまた、彼自身の加害性と向き合いながら作り上げているのだろう。それでもエンターテイメントとして作り上げる姿勢。そのスピードを緩めることなく作り続けて欲しい。今作も楽しみです。

もう一人の天才 yushokobayashi

作曲家

笠松泰洋

岡本昌也さんの舞台は常に圧倒的なリアリティとイマジネーションが混在する。その境目がない。しかし、今を生きる世代の若者の実感がヒシヒシと伝わる。「ギッズ・ノアール」シリーズの第1作の『怪獣は襲ってこない』は、トー横キッズがテーマで、恐ろしいほどのリアリティがあった。結局今のこの歪んだ消費社会の歪みが若年層に押し寄せていることを知らしめるのだけど、あくまでその状況に追い込まれた人たちの切実な気持ちがと
てもフラットに現れる。トー横キッズには大人はどう見えているのか、ということが容赦無くリアルに描かれている。しかも驚いたのは、その舞台の映像から作られた映画が、舞台に負けないすごい映画になっていたことである。私の知る限り、日本では少なくとも、面白い舞台を作った人が面白い映画を作った例はほとんどない。その稀有な才能で、シリーズ第二作はネットから誘導される闇バイトがテーマだった。これも恐ろしいリアリティ
だったが、演劇としてもとても面白かった。最新作も、題名からは何が描かれるか想像もつかないが、「ギッズ・ノアール」シリーズということで、これも見逃せない。

作家・演出家

藤井颯太郎

(幻灯劇場)

「最近若い人の作品見られてないんだよねぇ。同世代の作家で面白い作品作る人教えてよ」と聞かれたとき、僕が毎回紹介する作家が数人いる。そのなかには必ず「岡本昌也」がいる。
岡本昌也は根が真面目なのにガラが悪い。品の良さと治安の悪さを兼ね備えている。彼の作品もまた同様に、物腰柔らかく近づいてきて世俗に塗れた重たいパンチで抉ってくる。岡本はいつも岡本にしかつくれない演劇をつくり、岡本にしか作れない映画を作り続けている。それだけで作家として彼を信頼できる。

映画監督

川上さわ

映画『つーか祈りのあと8%、ちょう指向性の銃」に自撮りを投稿しました、川上さわです。
19歳の冬ごろは、岡本さんの作ったものを見ては体の輪郭を確かめる日々でした!
わたしたち自身が観測される光であること、わたしたちが光を押しとどめて生きていること、それらを丁寧に手触りとして確かめてくれる岡本さんの作品が大好きです。(映画にせよ演劇にせよ)
そのわたしたちすら自身が光であることから逃げられず、フレーミングされた世界の残酷さと自分たちの身体の行動の有用性が入り混じる時、それはなぜか希望となり得る、ということをわたしたちはこれからも忘れない、そのことによりわたしたちはわたしたち自身の手(眼)によって救われる!!それでも世界はくそであることをいつも教えてくれてありがとうございます。
今回の『心臓グミ』でもわたしがそのようなスーパーな手
解きと対面できるであろうことがいまからとってもたのしみです!やったね!
また、わたしの心のラブレターが止まらない、福井夏さんのご出演もわたしにとって喜ばしいことです♥♥そのありあまる情念でどこまでも♥

演出家

河井朗

(ルサンチカ)

「地球グミ」それは僕の知らないところで流行っていた。色もサイズも、そもそも人が地球を噛むなんて気持ち悪いと思った。流行は一体、誰が作っているのだろうか? それとも、自然に広がっていくものなのだろうか? そんな疑問を抱きつつ、今度は「心臓グミ」。これもまた気持ち悪い。きっと色もサイズも不気味だろう。けれど、可愛く個装され、ちゃんと流行りそうだ。
岡本昌也さんの作品は、流行に敏感でありながら、決して流されない。観る者に問いを残し、軽やかに見えて実は重い。まるでグミのように、噛むほどに何かが滲み出す。でも、噛んでしまっていいのか? と思わず躊躇してしまう。
「地球グミ」しかり「心臓グミ」のようなものは、流行ってから初めて知ることになる。つまり、知った時には問題はすでに顕在化しているのだ。「心臓グミ」が流行として終わらず、多くの人に届くことを願う。

劇作家・演出家

西田悠哉

(劇団不労社)

関西で活動していた同世代として、岡本くんは昔から意識せざるを得ない存在でした。

学生時代からその名前は知っており、天才肌で気難しいというイメージを勝手に持っていたのですが、初めて会った際、その物腰の柔らかさと人当たりの良さに、先入観は見事に裏切られました。
その後、交流を重ねるにつれ、飄々とした軽やかさの中に、確固たる芯の強さが垣間見えてくるのですが、その人となりは作品自体にも表れており、「柔よく剛を制す」という言葉が似合う作家だと思います。

キッズ・ノワールの前作『仔犬たちの午後』は、軽快な言葉の奔流に、毒とユーモアのパンチラインが幾重にも仕掛けられる、従来の魅力はそのまま、映像作家やデザイナーとしての活躍でも培われたであろう、編集力・構成力が加わり、彼のマルチな才能が結実したと言える一作でした。
さらに同時代性を持った社会問題へ真摯に向き合う、作家としての成熟や挑戦も感じられ、今回の『心臓グミ』ではどこまで行ってしまうのか、友人としては期待を、同業者としては脅威を感じながら、西の方から応援しています。

Ticket

チケット

【料金】

一般(前半割): 5,000 円   一般: 5,500

一般(前半割): 5,000
一般: 5,500

【一般発売】

1/31(金)18:00~
[ LOWSONチケット(Lコード:36262) ]

お問い合わせ

「心臓グミ」 制作部
e-mail: heartgummy.seisaku@gmail.com

キッズ・ノワール
シリーズ

kids noir series

第一部『怪獣は襲ってくれない』(2022/2023)

第一部
『怪獣は襲ってくれない』
(2022/2023)

@遊空間がざびぃ/新宿シアタートップス

2018年ごろから社会問題になっている「トー横キッズ」と呼ばれる若者たちを題材に、リサーチを重ねながら執筆した作品。日本のSNSカルチャーやファッション文化を用いながら、いまこの瞬間のためだけに生きる〝刹那主義〟な若者たちのセンシティブな心情を描く、令和のアングラ青春グラフィティ。日本の若者たちの貧困にまつわるあらゆる問題を克明に描写した。

第二部『仔犬たちの午後』(2024)

第二部
『仔犬たちの午後』
(2024)

現代をサバイブする子どもたちに焦点をあてた、“キッズ・ノワール”の第二作は、『闇バイト』を題材に、舞台をへだてる薄いカーテンの、その一枚向こうで行われる2000年代のアウトサイダー・ティーンの青春を描いた。 現代の若者たちの行動の見えづらさとともに、社会では決して共感してもらえない空虚で切実な感情を表現。

Staff

スタッフ

舞台監督 塩澤剛史(合同会社士言堂)
照明:萩原賢一郎
照明操作:野口りさ
音響・映像 岡本昌也
宣伝美術 岡本昌也
当日運営・制作 吉開小雪
制作協力 panchid
協力 ヒラタオフィス、AOI biotope
企画・主催 岡本昌也

© 「心臓グミ」2025 All rights researved.